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本においては正しかったことが、ウェブにおいては、正しくなくなることがある。

歴史の中では、その時代、その時代の、個性的な、物理的制約、社会的制約が存在する。 
その時代の、個性的な、物理的制約、社会的制約を前提にして、はじめて、その時代の正義というものが理解できる。 
たとえば、江戸時代の寒村では、食料生産に限界があったため、食料生産の限界を超えて人口をやしなうことは不可能、という制約があった。 
そのため、ときとして、生まれた子供を「間引く」ということが正義であった。 
もちろん、現代において「食わせていく自信がなかったから、生まれた子供を殺した」とすれば、それは悪であり、犯罪である。 
でも、それは、現代の日本の「まともにはたらけば、少なくとも飢えることはない」という、社会状況を前提としてはじめて成立する正義である。 
戦後の日本、までさかのぼらなくても、現代のアフリカに行けば、飢えは、いくらでもある。 

やや脱線したようだ。 
本には、本の、物理的制約がある。 
その物理的制約を前提として、文章を書くときの「正しい書き方」が決められている。 
しかし、その「正しい書き方」は、ウェブ時代では通用しないものがあるかもしれない。 
というか、ある、だろう。 
間違いなく。 
本とウェブは、ちがうのだから、物理的制約が異なる以上、それを前提とした「正義」は、異なるはずである。 
本の制約のひとつに 
「情報量が有限である」 
という制約がある。 
1000ページの本、それは、読む気が、かなり失せるが...まだしも、一冊の本足り得るかもしれない。 
しかし、1万ページの本は、ありえないであろう。 
10万ページの本も、ありえない。 
綴じることができない。 
したがって、本という技術的形態には、情報量が有限であるという物理的制約がある。 

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